ss4

□沈む
1ページ/2ページ


















6月初旬の海はまだ波も高くて、海水浴にはちょっと早い。
エメラルド色の海を横に見ながら日番谷君はあたしに左手を差し出した。急にフェミニスト?らしくなくて少しおかしい。彼の行動に驚きながらあたしは右手を乗せた。シンデレラみたいでなんだか照れる。
砂浜を歩くとは想定してなくてヒールの中は随分前から砂だらけ。こんなことならサンダル履いてくれば良かったと少し後悔した。だってまさか海に連れて来てくれるなんて思ってもみなかったから。




次の誕生日は予定を空けておくように言われたのはつきあいたての頃だった。2人の歴史は長いけど、お互いが特別になったのはまだ人指し指の一本きり。今年はあたしも日番谷君も大学4年で来年からは社会人となる。だからこんな平日に2人揃って授業をサボるなんてきっとこれが最後だろう。早々の予約は楽しみ過ぎて、部屋のカレンダーに大きく赤丸をつけたっけ。もう1年前のことになる。
早朝から車で迎えにきてくれた日番谷君はいつもよりかっこ良くて、「あたしの誕生日だからおめかししたの?」と訊くと「俺はいつもかっこいい」と謎のドヤ顔。全然答えになってない。
てっきり映画か水族館へ行くと思ってたのに日番谷君は約二時間アクセル踏んでエメラルド色に輝く海に連れてきてくれた。
あたし達の住む町から一番近い海といえばここだ。日番谷君もあたしも小さい頃からよく遊びに来ていた馴染みの場所だ。家族とだったり友達とだったり、日番谷君の家族とあたしの家族とで海水浴に来た時もあったと思う。もう遠い記憶でかなり曖昧だけどたぶん来た。


「っちぃな。」
「今日は夏日だね。」


Tシャツの首元に指をひっかけて風を送る日番谷君は眩しそうに空を見た。あたしの手を引きながら白い砂をザクザク進む。


「俺、ここ、ガキの頃お前んちと来たことある。」
「あ、あたしも覚えてるよ。日番谷君の従兄弟さん達もいっしょだったよね?」
「よく覚えてるな。」
「なんか大人数だったなーと思って。」


翡翠の目が細められる。日番谷君は笑うととても可愛いのだ。おまけに今日はなんだかかっこいいからあたしは照れ隠しにふにゃりと笑い返した。


「幼稚園の時でさ、」
「そうだっけ?」
「ああ。その従兄弟が悪ガキで、あ、今は全然いい奴らなんだけど、そいつらがお前を苛めて苛めて……、」
「え、あたし苛められてた?」
「ぬいぐるみ取られて泣いたの覚えてないか?」


まったく覚えてない。
あたしはぷるぷる頭を振った。砂浜をザクザク歩いているけれど宛はない。ただ波打ち際に沿って、海岸から突き出た防波堤へと進んでいるだけだ。暑いからか重なった掌同士が汗をかく。でも離さない。


「どんなぬいぐるみだったか忘れたけど、俺それ見て猛烈に腹がたったんだよな。」
「へー。」


やっぱり覚えてない。


「今のあたしじゃ考えられないね。噛みついちゃいそうなのに。」
「ほんとだよ。でもその時の桃は初めて会う従兄弟に人見知りしてて大人しかったんだ。だから俺が取り返してさ。」
「え、ほんと?優しい!」
「大喧嘩した。」
「…………………。」
「取っ組み合いの大喧嘩して大人達から怒られた。お前はわんわん泣くし……だからよく覚えてんだよ。」
「…………そっか。」


前を向いて話す日番谷君の額に汗が滲む。初夏の太陽に照らされて銀の髪が目映く光る。翡翠の瞳が明るくて、まるでこの海を映したみたい。
あたしは当時の記憶を掘り起こそうとしてもやはり何も思い出せない。ほんとに泣いたのかな?ほんとに喧嘩したの?日番谷君とこの海で過ごした一番古い記憶は海の家でかき氷を食べてるシーンだけだ。あたしが知らないだけで彼はそんな小さな頃から王子様だったのか。どうして忘れちゃったんだろう。とても素敵な思い出なのに。もったいない。


ぶらぶらと歩きながらあたし達は防波堤までたどり着いた。特に言葉をかわした訳ではないけれど日番谷君は砂浜から防波堤へと足を乗せ、その先端に向かってあたしを導く。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ