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□20200117day「あの子は傷物」
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一度領域を超えてしまえばもう後戻りは出来なくなる。初めて舐めた蜜の味が忘れられないのと同じだ。あの甘さが味わいたくて盗み食いできるチャンスを窺った。わかりきっていた成り行きに俺は呑まれるがまま身を任せた。
触れたいのなら近づくしかないじゃないか。
瞳に映りたいのならこちらに向かせる。
誰にも触らせたくないのなら敵を跳ね除けるまで。
休暇が終わり、日常に戻った俺達は傍目からは何の変化も無いだろう。雛森を置いて俺だけが密かに変わった。
























「雛森、髪が解けてるぞ。」
「え?ほんと?」


松本に用があると言って十番隊にやってきた雛森は留守中の副官を待つ間、俺を話し相手に時間潰し。俺が弟としての立場などとうに放り投げたとも知らずよく笑う。ソファに並んで座る様は仲良しこよしの幼なじみでも一皮捲れば兎と狼の弱肉強食図だと思ったら俺もへんに笑えてきた。茶を飲みながら自嘲の笑みを浮かべる俺をなんと取ったのか雛森もにこりと笑う。生まれたての兎に警戒心などあるはずもない。
ふと、ころころ変わる表情を見つめていたら彼女の髪留めが外れかかっていることに気がついた。教えてやると直ぐに後ろへ手をやり直しにかかるが髪留めはどこかに引っかかったのか上手く外れず雛森は顔を顰めた。


「あいたた、外れないよぉ。」
「無理に引っ張ると髪が千切れるぞ。」
「ふぇぇ、痛い〜。」
「見てやるから引っ張るなって。」
「うー……お願いします。」


雛森がくるりと背を見せる。青い石の付いた髪飾りの留め具部分に黒髪が絡みついて痛そうだ。それを丁寧に取ってやっている間、雛森はおとなしく俺に項を晒している。軽く一捻りすればひとたまりもなさそうな細い首。なんの保護もなく剥き出しにされた項はまるで狼の牙を待っているかのようだった。

………噛みつきたい。

柔肌に穴を開けて傷つけたい。誰が見ても一目瞭然な印をつけたい。野蛮な衝動がこみ上げる。
馬鹿か、俺は。ここをどこだと思ってるんだ。あるまじき想像に頭を振り、何食わぬ顔で髪留めを取った。でも横髪がかかる頬が視界に映ると何とも柔らかそうで肌の味を確かめたくなる。なんでこいつは…とボヤきそうになるが雛森に非はないのだ。勝手にそそられて昂ってる俺の問題だ。悪いのは俺、悪いから邪なこともする。
俺は雛森の香りを確かめるようにそっと後ろから顔を寄せた。少しは警戒しろよ。襲ってもいいのかよ。


「………ふっ、」
「うひゃあああ!」


けれど実際は何もできなくて、腹いせ紛いに耳に息を吹きかけると不意打ちの攻撃に雛森は派手に飛び上がり、耳を押さえて俺から逃げた。その顔は真っ赤で少しだけ気分が晴れた。


「な、なに⁈」
「取れたぞ。」
「だだだったら普通に教えてよ!驚くでしょ!」
「そんなに驚くとは思わなかったんだよ。」
「もう………やめてよね!」
「へーへー。」


雛森の顔の赤みは直ぐに収まることはなく、取り乱した余韻はまだ残っている。


「…………感じた?」
「え?なに?」


何を訊いてんだ俺は。


「お前って耳弱いよな。」
「き、急に息吹きかけられたら誰だって…、」
「はは、猿みてぇに真っ赤だぞ。」
「さっ、猿ぅ⁈もう!日番谷君の馬鹿!あたし帰る!……っきゃ、」


怒って立ち上がりかけた雛森の手を俺は咄嗟に掴んで引っ張った。軽い彼女は簡単に、本当に簡単に俺の腕の中へと落ちてきて、ふわりと舞った甘い香りに魔が差した。彼女を囲う腕に力をこめる。雛森がよくふざけて俺を抱きしめるが、あれを俺がする。


「なんだよその悲鳴、猿そのものじゃねぇか。」
「ちょ、日番谷君、ふざけないで、」


立ち上がろうともがく雛森を俺は腕で囲って離さない。どうせ悪ふざけととっているんだろう?男に抱きしめられてても相手が俺だとお前の中じゃ子供に抱きつかれているのと同じなんだ。そんなやけっぱちな感情が湧き上がる。
俺を見ろ雛森。俺は弟なんかじゃねぇんだぞ。
細い身体に回した。手に力を入れた。でも解っていない雛森は、より一層暴れて腕の籠から必死のていで逃げ出した。


「っぷは!やめてよ!苦しいでしょ!からかうのもいいかげんにして!」



叫ぶ雛森の髪はボサボサ、顔は林檎。目を吊り上げて幼馴染みの度を越した悪戯に本気で怒っている。俺はそんな雛森を冷静に眺めてしまった。
所詮幼馴染みは幼馴染みなんだな。それ以上でも以下でもない。俺の中の婆ちゃんの地位は永久に変わらないのと同じで雛森の中の俺も死ぬまで幼馴染みなのだろう。天変地異でも起きて世界にたった二人きりにでもならない限り、俺は雛森の隣には並べない。


「なぁ、雛森。」


ソファから立ち上がってきゃんきゃん吠える雛森を下から見上げながら問いかけた。


「お前、好きなやついるか?」
「え?」



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