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□400000h感謝小話「鍵は返す」
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いざ恋人になれてもお互い毎日多忙で思ったようにデートもできない食事も行けない。オマケに桃は恋愛事には間違っても積極的とは言い難く。つきあい始めても冬獅郎のモヤモヤジリジリは募る一方。いつだったか会社のカフェコーナーで盗むように一瞬唇を奪っただけで肩も抱いてないし手も繋いでない。ぶつかったようなキスに驚いた桃が見事に赤くなって俯くから思わず抱き締めかけたけど、冬獅郎の衝動は部長の出現により粉砕された。触れただけの温もりは抑えてた気持ちが余計に溢れただけだった。部長をあれほどタコ殴りしたい時はなかった。
その後もすれ違いは続き、桃からの誘いもない。もっと踏みこんできてほしいのに友人に毛が生えた程度の恋人特典しかなくて寂しい寂しすぎる。
なんで友人優先で帰るんだろう。女子トークなんかアフターでなくてもできるだろ。
なんで出張土産が他の同期達のと大小違いだけなんだ。しかも菓子折り。部長への土産か?
なんで他のやつらにまで笑いかけるんだろう。俺だけに見せてくれればいいのに。
そんな不満を抱えていた時だった。



今日、階段で出くわした桃に夕べ送ったライン見てないだろ、と言ってやると桃は慌てて小さな鞄からスマホを取り出した。色々と言い訳しながらわたわたとスマホを探るから手元から鞄が落ちて、その拍子に中身が階段に散らばった。キャメルブラウンの財布やピンクのハンカチと共に銀色の鍵が飛び出したのを冬獅郎は見逃さない。拾おうと屈んだ桃よりも早くしゃがんでその小さなキーを指先で摘みあげた。
『俺からのラインを無視した罰だ。この鍵は預かっとく。返してほしければ今夜俺の部屋まで取りに来い』
『え…?………ええ!?』
『俺の部屋の鍵はお前に預けとく。ほら。』
『えええ!?でも、勝手に入っちゃ…。』
『付き合ってんだからいいじゃねぇか。』
『う…ん、』
『俺、今日ちょっと遅くなるかもしれないけど8時には帰るから。』
『えと…じゃあ……ご飯作って待ってるね?』




上目使いでたどたどしく告げられて一気に身体が熱くなった。鈍感な桃にしては察しがよくて嬉しさの余り心の中でしこたまガッツポーズを繰り出した。これだよこれ。この恋人らしさが欲しかったんだ。純情高校生なお付き合いもいいけれど、いつまでもそれだけじゃ我慢できない。いい加減な気持ちじゃないだけにいつも物足りなさに泣いていた。





冬獅郎はマンションに入りエレベーターに乗り込むとボタンを連打した。到着のドアが開くのを待ちきれぬ勢いで飛び出すと、真っ直ぐ目指すは自分の部屋。
どこからともなく漂ういい匂いは冬獅郎の部屋からだろうか。桃は晩飯を作ると言っていた。彼女の得意料理は何だろう?そんなことも自分は知らない。
冬獅郎はポケットのスマホを握った。今から帰るとLINEしようか?桃を騙して驚かすのも楽しそうだ。顔が自然とにやけてしまう。スマホを取り出す間も冬獅郎の足は素早く動く。瞬く間に部屋の前に着いてLINEを開ける間もなかった。左のポケットには昼間奪った桃の鍵が隠れている。人質代わりのこれを返すべきか返さぬべきか、いや返すべきなんだけどそうすれば彼女が冬獅郎の部屋に来る理由もなくなってしまう。


いや、


冬獅郎はドアを開けた。ふわりといい匂いに包まれる。やっぱり我が家からの匂いだった。冬獅郎はスマホから手を離した。一刻も早く声が聞きたい。誰にも邪魔されずに会いたかった。一生離したくないほど好きだとやっと伝えられる。今夜はほんの手始めだ。


「ただいま、桃。」
「おかえりなさーい。」


キッチンで奮闘中の桃が顔を出す。大股で近づいて細い身体を腕に抱くと甘い桃の香りがした。幻なんかじゃない。大好きな彼女がここにいる。さっきまで頭にあった文句や不満が一気に吹き飛んで、冬獅郎は深い息を一つついた。

鍵は返す。人質なんかなくったって大丈夫だ。
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