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□渇いた大地に花一輪
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何も願うことなどありはしない。
けれどほんの1%の希望を捨てきれずに生きている。























人気俳優 日番谷冬獅郎がドラマ番宣のためトーク番組に出演中。俳優活動以外のメディアには殆ど露出の無い彼がこのテの番組に出るのはとても珍しい。トークの相手をする女タレントもやや興奮気味だ。


『日番谷さんは最近、犬を飼い出されたそうですね?』


愛らしいトイプードルの子犬が足元のモニターに映し出される。それを見てやっと日番谷冬獅郎の表情が緩んだ。ずっと無表情だった彼にスタジオ内の空気が張り詰めていが、愛犬を見る優しい瞳にスタッフ一同ホッと胸をなで下ろす。


『ええ、まだ子犬で手がかかりますけど』
『意外と動物好きだそうですね?』
『まぁ…、最近はこいつともう一匹猫も預かってるんですよ』
『えぇ?喧嘩しませんか?』
『全然。二匹とも仲良く俺の帰りを待ってます』
『可愛いでしょうねぇ』


MCの言葉に冬獅郎は『えぇ、まぁ』と、はにかむように笑った。クールなイメージの彼が零した少年の笑顔にMC役の女タレントもスタッフも胸キュンで。スタジオ内に花が舞ったようだった。























「ただいまー、お、氷輪丸いいこにしてたか?」

玄関の扉を開けるなり転がってきた茶色い子犬に冬獅郎が笑いかける。そのまま抱き上げて室内に入ればソファーに座ってテレビと睨めっこしている女の子がひとり。

冬獅郎が近づけばくるりと振り返って睨んできた。


「…おかえりにゃあ……」
「ぷっ…なんだ今日放送だったのか」
「なんだじゃないよ!猫をもう一匹ってあたしのこと!?」
「氷輪丸とお前以外この部屋に誰がいるってんだ?」
「ふにゃああ!」


大して鋭くもない爪を見せて飛びかかった桃を軽く受け止め、冬獅郎は声を出して笑った。


「部屋は見つかったのか?」
「うん!大学まで電車で15分、まずまずでしょ?シロちゃんちにお世話になるのも今日で最後になりました。一週間ありがとう」


にっこり笑ってぺこりと頭を下げた桃に冬獅郎の笑顔は複雑なものに変わったけれど桃はまったく気づかない。


「手のかかる猫が一匹いなくなって嬉しいでしょ?」
「そうだな氷輪丸よりもうるさかったし、これでやっと安眠できる」
「ひっかいてほしいか、このー!」
「こ、こら、やめろ、」



だからその爪は全然武器にはならないっての。
むしろその可愛い仕草の方が凶悪だ。


人気俳優の日番谷冬獅郎はクールでドライ。そんな世間の評価通り、この男の心を動かせるものなどそうそうありはしない。ただ一人の例外、3つ下の妹を除いては。



無邪気に冬獅郎へ近づいた桃に「兄」を装いながら必死で理性を働かせた。桃は簡単に二人の距離を縮めるけれど、ともすれば抱きしめてしまいそうになるこっちのことも考えてほしい。
ふわりと桃からいい香りが舞って冬獅郎の鼻孔をくすぐった。胸がまた一段と騒ぎだして思わずぐっと引き寄せてしまいたくなる気持ちを我慢する。


兄妹が二人きりで部屋にいることに何の問題もないけれど、邪な愛情を持っていては問題だ。


俺は兄貴失格だ。


けれど兄としての気持ちなんてもうとうの昔にどこかへいった。ただ自分を保つために兄を演じているにすぎない。役者として演じる以上に上手くやれている自信はある。



冬獅郎に飛びかかっていた桃が戯れるのを止めて足元に寄ってきた氷輪丸を抱き上げた。お前とも明日でお別れだね、と茶色い頭に頬ずりをして、子猫も子犬も気持ちよさそうだ。


そんな一人と一匹を見ながら冬獅郎の方が顔を歪めた。


この一週間どれだけ理性との戦いだったか。それを思うとやっと今夜から安眠できるのが嬉しいような残念なような。
けれどこの胸弾む同居生活ももう終わり。桃の1人暮らしのための部屋が見つかれば今後はそう頻繁に冬獅郎の部屋には来ないだろう。



「4月からこっちに住むようになったらよろしくね、シロちゃん」
「あぁ…」



冬獅郎の知らない桃の世界が増えるのだ。たくさんの人間と出会って別れて、そしていつか一人の男を選ぶのだろう。今確実にわかっているのは桃に選ばれる人間は冬獅郎ではないことだ。




そう思ったらこの目の前の子猫を攫って逃げたくなった。






 
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