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□酔桜
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失礼しました、と雛森は恭しく頭を下げて出て行った。

彼女の気配が遠ざかるのを待ちかねたかのように、ぷは!と日番谷が息をする。知らず知らず息を詰めていたようだ。


柄にもなく緊張していた日番谷は荒い呼吸をしながらも、目はまだ雛森が出て行った場所に固定されたまま。いくら見たって残像さえも残っていないのに日番谷の瞳は雛森を探すのをやめてはくれない。
でも彼女が出て行った戸をいつまでも見つめていたら落ち着かない気持ちに拍車が掛かりそうで。だから急いで手元の回覧に目を落としたが、そこにあるのは雛森の筆跡。
またしても3日前のことが鮮やかに思い出された。


「あー!」


思いきり叫んでも過去の記憶を振り切れるわけはないが、それでも思わず叫んでしまう。
白い銀髪もピンクに染まってしまうほど真っ赤になって、うなだれたり天井を仰いだり、大騒ぎ。
今この場に副官がいなくて本当によかったと思う。気がふれたかと思われかねない。


どうしようもなく火照った顔を見て雛森はなんと思っただろう。いや、雛森も日番谷に負けず劣らず赤かったからきっとおあいこだ。もしかしたら日番谷が赤面しているのに気づかなかったかもしれない。別に勝負しているわけじゃないからおあいこというのは変だけど、こんなふうに平静を失っているのが自分だけじゃなくて日番谷は少しホッとした。






























3日前、日番谷と雛森は結ばれた。
日番谷はずっと彼女のことが好きだったけれど雛森はそういうわけではなかっただろうに、何故応えてくれたのかと思う。



夜桜を見に行こうと誘ってきたのは雛森の方だった。
仕事を定時に終えて待ち合わせをし、定食屋で簡単な食事をして枝垂れ桜の名所に行った。その帰り道、まだ時間も早いからと日番谷の部屋で飲むことになったのだ。定食屋では二人でお銚子一本しか飲まなくて、ほろ酔い気分になるにはもう一つ物足りない。だから日番谷の部屋にある賜物の酒を開けようと雛森ははしゃぎ、日番谷も溜め息をつきつき笑った。なのに雛森を部屋に招き入れて一滴も飲まないうちに日番谷は彼女に手を出してしまった。
自分でも最初からそんなつもりはなかったから発作的に、としか言いようがない。
飾り気のない寂しい部屋の真ん中で、ちょこんと座って笑う雛森はご機嫌で、とても可愛くて。寂しかった僕の庭に薔薇が咲いたーーと歌ったのは現世の歌詞だったろうか。雛森は薔薇なんて煌びやかな花ではないけれど、薄暗い日番谷の部屋に咲く可憐な鈴蘭のように見えた。乙女かとツッコんでくれていい。どうせ脳は膿んでいる、笑うなら笑えとも思っている。他の人間のことなど知らないが日番谷には雛森がとにかく可愛く見えるのだからしょうがない。


『日番谷君?あたしの顔に何かついてる?』
『い、いや!なんでもねぇ!』



柔らかなその笑顔に見惚れてましたなんてとても言えなくて、慌てて散らばった書類を片付けたり御猪口を出したり。そんな動き回る日番谷を雛森が手伝うと言って手を出した。突然伸びてきた手が日番谷と重なったのは本当に偶然だ。直ぐにさり気なく引っ込めればよかったのに日番谷の手は何故か彼女の手を掴んでしまい、きょとんとする雛森と瞳が会えば…。


己の中で警報が鳴った。でももう手遅れ。


ヤバい


たったそれだけの切欠で幼なじみの歯車は壊れたのだ。













ずっと長い間、日番谷は雛森を思っていた。でも、その気持ちをさらけ出す気も告げる気も無く、ただ雛森が泣くことのないよう見守っていくつもりだった。
その信念を貫く自信はあったはず。だから部屋に入るのを拒むことなどしなかったのに。



今も簡単に思い出せる、彼女の肌の感触、表情、香り、そしてあの快感と幸福。



日番谷は受け取った回覧を手にしたまま頭を抱え、机に突っ伏した。



忘れようにも忘れられない。
けれど確かに、彼女に触れている間、日番谷は幸せだったのだ。




 
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