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□夫婦未満
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夫婦未満A


「夫婦未満 続き」














桃に恋する準備はできている。

そう思う時点で既に恋に落ちているのだと冬獅郎自身も解っている。だから桃のことを考えるとこんなにも溜め息がでるのだ。

















昔の記憶。
それこそ貧富も男女も関係なく子供達は毎日いっしょに遊んでいたくらい幼い頃のこと。

仲のよい友達の中には家の都合で家計を担わされるもの、手伝いをするのもの、奉公にあがる者など、冬獅郎達といくつも年が違わない者達が働きに出て行ってしまうことは珍しくなかった。が、幸いにもというべきか、時代の後押しもあったのだろう、冬獅郎や桃は双方の父親の事業がすこぶる順調でそのような境遇に陥らずに済んだ。今でこそわかる。自分達は周りの子供達よりほんの少しだけ恵まれた環境にいたことを。けれど当時は擦り切れた着物を着た子供もいれば冬獅郎のように折り目のきちんとついた洋服を着る子供もいたが、幼い世界に身なりの違いなど関係なく、時々喧嘩もするけれど冬獅郎も桃も、子供は皆、ごちゃ混ぜになって楽しく遊んでいた。


野原や町中や色んな場所を遊び場にしていた冬獅郎達だが、道端で遊んでいると偶に近くに住む医者の家の息子に出会う。自らを医師の卵だと言い父親の後に付いて往診の手伝いをしていた。冬獅郎の家の婆さんもその父親に診てもらっていて、道で連れだって歩くその親子を見かけても「あぁ往診か」程度にしか冬獅郎は思わなかった。
思わなかったが、しかし桃は違った。皆で遊んでいても息子の姿を見つけると駆け寄って行き、彼にまとわりついた。微笑む彼に頭を撫でられると桃の笑顔は満開の花になった。


子供だった冬獅郎の目にも桃がよく懐いているのはわかったが、その当時はそれほど気にならず、それよりも友達との遊びに夢中だった。小さな男の子達はお喋りよりも走り回っている方が楽しかったのだ。医者の息子は冬獅郎から見れば、もう大人といっていいくらい大きかったし、遊びに誘う雰囲気でもなかった。桃と数人の女の子だけが息子とのお喋りを楽しんでいた。少し年上の女の子達の遊びは男の子よりも会話に費やす時間が多かったからその光景を別段、不思議には思わなかったし気にもならなかった…のに…………最近やけにそのことが思い出される。
そしてその理由も解っている。






きっとあれが桃の初恋だったのではないかと今では思う。
桃はよく笑う女の子だったがあの優しい風貌の息子と話す時の桃は、とびきりの笑顔を見せた。 幼かった冬獅郎が目を止めてしまうほどに。今も覚えているほどに。



はぁ、と冬獅郎は浮かない顔で溜め息をついた。溜め息の分だけ教科本が入った重い鞄が肩に食いこんだ気がする。

そんな昔のことを思い出しながら冬獅郎は高等学校から帰宅した。普段なら記憶の底に眠っているような昔話をふと思い出したのはきっとこの間学校帰りに桃に偶然出会ったからだ。名前を呼ばれ、振り返って見た桃は優しく冬獅郎に笑いかけていた。それは昔から変わらぬ柔らかな微笑みで。


そう、悲しいくらい変わらぬ笑みだ。



冬獅郎はただいまと玄関の戸を開け、学帽を脱いだ。ふと視線を下に向けると女物の細い靴がきちんと置いてある。従姉妹の乱菊のものにしてはやや小さくて温和しい靴に冬獅郎は直感で桃が来ていると悟った。

会いたいような会いたくないような複雑な気持ちが生まれるが、ここは自分の家、逃げても仕方ない。
冬獅郎は腹に力を入れて家にあがった。




 
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