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□夫婦未満
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「夫婦未満」
*日雛大正風パロ









冬獅郎様、と鈴の音のような声で呼ばれて冬獅郎は振り向いた。街の市へ続く道で出会ったのは冬獅郎よりも2つ上の婚約者、桃だ。

今お帰りですか?と嬉しそうににこにこ笑って冬獅郎に歩みよるから冬獅郎は「う、」と一歩足を引いてしまった。


親同士が勝手に決めた婚約者は冬獅郎の幼なじみだ。本人の意向など殆ど必要とされなかった許婚は、それこそ小さい頃は手を繋いで仲良く遊んでいた相手。年上だった桃は身体も年も自分より小さな冬獅郎に優しかった。
今もとても、優しい。それは婚約者というよりも……。




桃は冬獅郎を見ると何の躊躇いもなく笑って距離を詰めてきた。学校は楽しかったですかと尋ね、お勉強ご苦労様です、と労いの言葉と共に笑顔が咲いた。それが冬獅郎には何ともいたたまれない気持ちにさせられる。「あぁ」「うん」の2つの言葉だけを口にのせて学帽を深く被って顔を隠した。



誰もいない二人だけの時なら冬獅郎も普通に受け答えしてやれるのだけど、今は級友といっしょに高等学校からの帰り道だった。冷やかされるのはごめんだ。
冬獅郎の後ろには詰め襟を着た友達が二人、誰だ誰だ?と桃を凝視しているのが背を向けていてもありありとわかる。
できるならジロジロ見るなとヤツらを蹴散らしたい。


手に風呂敷包みを持っているから桃は和裁学校の帰りなのだろう。萌黄色の小紋を着ている。春らしくて桃によく似合う着物だ。柔らかくて優しい彼女の雰囲気そのままの出で立ちに後ろの連中が色めき立っているのがわかる。


高等学校では秘密にしているのに、こんな可愛い婚約者がいるとしれたら明日からどれだけからかわれるか。それを思うと桃に早く立ち去ってくれと叫んでしまいそうだった。


「冬獅郎様のご友人の方々ですか?はじめまして雛森桃と言います。」


「おい。」


冬獅郎の後ろから不躾に興味の目を向けてくる友達に気づいて桃がぺこりと頭を下げた。それに彼らが慌てて声をあげる。

背後の友達は桃に合わせてやたら元気に挨拶するし、もう一刻も早くこの場を去りたい。ヤツらの視線が自分達に突き刺さっている。婚約者だとバレたら絶対に冷やかされる。なのに桃はにこにこ可愛く笑って冬獅郎にあれこれ話しかけるのを止めないから、つい…。


「何か用か?」


「え?」


「用が無いなら引き止めるな、俺達は急いでいるんだ。」


「あっ、ご、ごめんなさい、気がつかなくて、」


頭を下げる桃にサッサと背を向けて歩いていく。その後ろから彼女の「お気をつけて」という声が投げられた。友達の「あれ誰だ?」という質問が早速なされたのも無視してサッサと歩く。


可愛い婚約者がいるなんてしれたら単純に気恥ずかしい。
けれどそれ以前に、桃の冬獅郎に対する態度があまりにも昔と変わらなくて婚約者だと口にするのに抵抗がある。婚約者ならもう少し甘い空気になってもいいもんじゃないか?将来夫婦になるなら今は恋人期間?
親同士が決めた結婚に、最初は抵抗があったが相手が桃だと知って冬獅郎は内心喜んでしまったが桃はどうだったんだろう。

桃は可愛くて優しくて可愛くて、少しそそっかしくて頑固なところもあるけれど可愛くて気だてのいい娘だ。桃との結婚に異論はないが彼女の気持ちが知りたい。嫌われてはいないと思うが彼女にとって小さな男の子の域を脱していないような…。


桃との結婚に関しては気になることが色々ありすぎて困っている。
こんなことで悩む自分にも驚いている。


親のきめた結婚なんて恋愛期間もなく結婚するもんだとわかってはいたが、それでも冬獅郎はときめいてしまった。
こんな気持ちが自分だけではないと祈りたい。



黙々と歩く冬獅郎に案の定、友人が桃のことを問うてくる。その浮ついた声が腹立たしい。
婚約者だとぶっきらぼうに答えたら驚きの声があがった。友人のその反応になんだ文句あるかと睨みつけ、また黙々と先を目指す。


甘い雰囲気はなくとも桃は冬獅郎の婚約者だ。たとえ姉のような振る舞いをされても婚約者。恋愛などしなくても夫婦になれるのだ。面倒くさくなくていいじゃないか、何が物足りないんだ。
冬獅郎をよそにまだ騒いでいる友人を無視して立ち止まる。


できるなら夫婦になるまでにもっと互いのことを知り合いたい。桃に今の自分を知ってほしい。同じ大きさの好意を返せとは言わないが、弟ははっきりと嫌だ。ていうかそんな男とよく結婚できるな。それって結婚に対する割り切り?諦め?男女の違いなのか自分が子供なのか、考えれば考えるほどこんがらがる。
冬獅郎は茶色い地面に向かって切ない溜め息を吐き出した。優しさが恨めしいなんて初めて知った。





彼女に恋する準備はできているのに

 
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