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□八周年記念話「より黒い」
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夕闇が俺たちの背後に迫る。
ほんの半月前にくらべ夜がやってくるのがだいぶ早くなった。まだ藍色を残す空も直に彼女の髪と同じ色に染まるだろう。


「日番谷君、晩御飯はなにがいい?」


「なんでもいい。つかいつまで日番谷君なんだよ。松本が笑ってるぞ。」


「………う、だって慣れないんだもん。」


「お前だって日番谷なんだからおかしいだろ。」


「じゃあシロちゃんって呼んでもいい?」


「………日番谷君よかましか………。」


「わーい!じゃあシロちゃん復活だね。」


隣りでぴょんと跳ねた桃はほんとに昔とあまり変わらない。こんな無邪気に笑う顔は少女時代のまんまだ。でも今は俺の妻。ガキの戯れ言でもなんでもなく俺の妻だと叫んでやる。


俺は軽くスキップふんだ桃が先へ行ってしまわぬよう小さな手を捕まえ指を絡めた。


「……まだ隊舎の近付くなんだよ…?」


「手ぇ繋いでるだけだろ。夫婦なんだからおかしかねぇよ。」



「そっか…手繋いでるだけだもんね。えへへ。」


しれっと言ってやると、はにかむように笑って桃はおとなしく俺の隣りに落ち着いた。
確かに付き合う前の俺は手を繋ぐのを嫌ったけれど恋人になってからは割りと頻繁に手を繋ぐようになったと思う。隙あらばキスもする。少しでも彼女に近付く虫は追い払いたかったから半分意図的にそうした。
ガキの頃はいかにも姉さんに手を引かれて歩く弟の図って感じがして嫌だった。連立って歩く時、なにかと俺の手をとる桃の手を振り払っていたから彼女が訝しがるのも仕方ないか。人間変われば変わるもんだ。


「ふふ、」



そんな昔の俺を桃も思いだしたのだろうか。隣りにある黒い頭がクスクス笑って楽しそうに揺れた。
綺麗な項にかかる髪先も、さらりと頬にかかる横髪も、夕闇に紛れることなく細く黒く揺れていた。




ガキの頃から彼女が好きで大切で、この思いが成就できればなんて思わなかったわけじゃないけれど、彼女が笑顔でいられるならば俺のことを選んでくれなくてもいいと思っていた。ずっと彼女の幸せを護っていけたら。それが俺の幸せなんだと思っていた。


彼女をほしいと思う気持ちは日に日に膨らんでいたけれど俺の気持ちなんて後回しでよかった。なによりも彼女の幸せを優先したかった。
なのに、ある日突然、部屋にやってきた彼女に気持ちを伝えられ、堰止められてたものが壊れちまった。小さな唇が俺を好きだと動いた時どんなに俺が嬉しかったか、きっと彼女は一生知ることはない。
真直ぐに見つめてくる瞳が俺だけしか映してないのを見て胸が膨らむような締め付けられるような、そんな初めての感覚、きっと俺だけにしかわからない。
こみ上げるものに堪えきれなくて思いきり細い身体をかき抱き、彼女へただ「ありがとう」と繰り返した。
気づいてくれてありがとう。応えてくれてありがとう。偽りでなく、真実の幸せをありがとう。



「明日も晴れそうだね。」


「ああ、そうだな。」


繋いだ手の向こうで桃が笑う。
それに俺が短く返事をする。


あの時の声が震えてたなんて彼女は知っているだろうか。
細い身体を強く強く抱き締めて、震える彼女以上に小刻みに揺れてしまう手をどうすることもできなかった。そんな俺に気づいただろうか。

かなり恥ずかしくて格好悪いから気付いてなければいいと思う。でも、こんなにも愛しているんだと伝えたいとも思う。
矛盾する両者。
たぶん彼女は伝えてほしいと答えるんだろうな。


「どうしたの?一人で笑っちゃって。」



透き通った声が尋ねてくる。
なんでもないと返してやる。
本当に?と聞かれたから適当な答えを言えばまたクスクスと笑った。


「昔のことでも思い出してた?」


鋭いな。

変なところで一枚上手な彼女に目を逸す。
するとまた笑って。





彼女がクスクス笑う声がくすぐったい。
耳の後ろを、掌の上を、胸の奥を、彼女の笑顔が無邪気にくすぐる。始まったばかりの幸せがこそばゆいということも長い年月生きてきて初めて知った。幸せはくすぐったい。
感情表現が苦手で笑うのも苦手な俺を鈍感なはずの彼女は意外にもよく理解している。もしかしたらあの時のこともしっかり気付かれてたのかもしれないな。俺は目を逸したまま桃の手は離さずに二人の家をめざした。









 

 
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