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□5000h感謝小説 「二人の記憶」
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あの時すべてを無くしたと思った。
今でも時々ゆめに見る。
血だまりの中に倒れた彼女。目は開けられているのに何も見てはいない、そう、死人の目だった。
あの時の光景が日番谷の脳裏に焼き付いて、きっと一生忘れるなんてことはない。
「…………っは!」
冷たい汗を伴って、ガバリと布団から跳ね起きた。
荒い息、背中に鳥肌がたつのは、このじっとりと纏わりつくような汗のせいだろうか?
「はあっ……はあっ、……はあっ……、」
余りにも恐ろしい夢に弾んだ息がなかなか治まらない。
あの時の夢。
確かに現実として起こった出来事。
今ではすっかり逞しくなった日番谷の身体。そこに浮かぶ汗を掌だけで拭い、傍らに眠る愛しい存在に目をやった。
まるで救いを求めるように。
真夜中に目覚めた子供が母を探すように。
静かな寝息をたてる雛森は、今の日番谷同様、何も身につけてはいない。
当たり前だ。
ほんの数時間前に愛し合っていたのだから。
いつもながら激しく雛森を求めてくる日番谷に、意識を飛ばし、果ててしまった雛森。その彼女からは、まだその時の甘い余韻が、首筋から、肩から、胸から、至るところからたちのぼるようだ。
「桃……。」
小さな声で呼んでみる。
気持ち良さそうに眠っているのはわかるけど、あんな夢をみた後では雛森の温もりを確かめたくなるのも無理はない。
頬に手を伸ばし、細い肩を抱き締めるくらい許されるだろう。
「………………桃…。」
「……う……ん………?」
多少、無理矢理に背中へ腕を差し込んで、力の入らない雛森を引き寄せ、抱き締めた。
………温かい。
日番谷よりも温かい。
その温度に大きく息を吐いてしまうほど安堵した。
いったい何度目になるだろう。あの夢をみるのは。
雛森が敬愛していた上司に裏切られ刺された時の夢。
藍染の反乱はとうの昔に鎮められ、世界は平穏に過ぎていく。にも関わらずいつもいつも忘れた頃にみてしまう。
それはまるで、あの出来事を忘れるなと誰かに楔(くさび)を打ち込まれているかのようだ。
無論、日番谷に忘れるつもりはない。
日々の忙しさから、記憶の引き出しの一番奥に追いやられてしまっているが、きちんと心の大事な部分に収まっている。
あの事件は、それまでの日番谷の考え方を大きく変えた。
本当に大切なものは他人に託してはならないのだと。
雛森の心があの男に向いているからといって、どこか遠慮していた。
自分の方へ向かせる努力もしていなかった。
全身全霊をかけて彼女を護ると己に誓いをたててはいたが、雛森を幸せにするのはあの男で、彼女もそれを望んでいると思っていた。
諦めに似た気持ちで、自分を納得させる毎日だった。
それがあの事件で大きく覆されたのだ。
傷ついた雛森を見る度に、他の男に彼女を託したことを後悔した。
本当に失いたくないものは手放すべきではないと痛感した。
だから、世界が落ち着きを取り戻して早々に、日番谷は雛森に胸の内を打ち明けたのだ。
まだ雛森の心の傷は深く抉られたままだったろう。
それでも何かに背中を押されるかのように日番谷は長年の想いを告げた。
早く早く、間に合わなくなる前に、と。
困惑と自責の念に駆られる雛森は首を横に振り続けたけれど日番谷は引かなかった。
彼女を護りたい。
彼女を幸せにしたい。
真実の願いは他の奴に任せては駄目なのだと気がついたのだ。
雛森を手に入れる。
それが日番谷が出した答えだった。