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□昔は可愛かったのに
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「そーじろー!」
大きな声で僕の名を呼んでいる声の方を向けば昔馴染みが細い腕を大きく振り上げていた。
僕のことを今現在でも"惣次郎"と呼ぶ数少ない1人。
「あれ、どうしたのさ」
僕が彼女に気がつくと彼女はこちらに駆け寄ってきた。
途中石につまづいて転けそうになったけれど僕は彼女を支えてやろうと手を差しのべなかった。
これはいつものことで別に僕は優しくないという訳ではない。
むしろ彼女を助けようと手を出すと何故助けたのかと怒られる。
彼女は男女の違いで区別をつけられるのを極端に嫌う。
誰も転けたところを助けることに男女の違いを考えているわけはないのに彼女はそこにも変なこだわりをもっているらしい。
「今日も近藤さまのところにお邪魔するの?」
少女というには歳を行き過ぎ、また女性というにはまだ幼さが残る彼女の顔。
昔とはまた違うそんな顔も最近ようやく見慣れてきた。
ただ内面はいつまでも変わらず頑固なままだ。
そして少し抜けている。
「……君、僕が試衞館に寝泊まりしてるのわかっててそれ言ってる?」
わざとらしくため息を含めて言えば彼女はあれ、と言って手を口にあてる。
この様子だと完全に忘れていたな。
「みつ姉が最近やけに私に構ってくると思ったらあんたがいないからか!」
「あれ、姉さんの相手してくれてたんだ。ありがとう」
「ありがとうじゃないよ!最近ことあるごとに料理だの裁縫だのを手伝わされて大変だったんだから」
彼女は言い方だけ怒ってこちらに言ってみせた。
ただ声色や表情に本当に嫌々やっていたわけではないことがわかる。
彼女も文句は言いつつも僕の姉さんたちに構ってもらえるのがうれしいらしい。
まあ、彼女は一人っ子だしわからないこともない。
姉さんたちも姉さんたちで家族ぐるみの付き合いである彼女を昔から気にかけている。
というかむしろ姉さん自身が彼女を気に入っていて何かと自分にできることを教えたがる。
そして彼女はそれを難なく吸収していってしまうのだから姉さんたちは面白がって彼女の教育に力を入れたがった。
ただ、片方の姉さんは地方に嫁ぐ共にその趣味(と言えるだろうね、姉さんたちを見ていると。)を捨てざるを得なくなった訳だけれども。
「そういえば僕に用事があって呼び止めたんじゃないの?」
僕の一言に彼女はそうだった、と言ってまたも開いた口に手をあてた。
昔から変わらないその癖にも思わず顔が緩んだ。
と言ってもその違いがわかるのは目の前の彼女くらいだろうけど。
ただその読み取り方が彼女は多少ひねくれている。
「惣次郎にやけてるとキモい」
「へぇ、この口はそんなこと言うんだ?」
やっぱり思った通り。
でも声に出されるとさすがの僕でもイラついたから軽く彼女の頬をつねってやった。
一体この悪い口は誰に似たんだろうね?
「いひゃいいひゃい!ごみぇんなひゃい」
「謝るくらいなら最初から言わないこと」
「はーい」
「で、用は?」
素直に謝ったところで手を離してやると今度は彼女が風呂敷に包まれた少し大きめの荷物をこちらに差し出した。
見るところ、何かよくわからないけど幽かに香る磯の臭いに海草が含まれていることがわかる。
「これ…おにぎり?」
「うん、差し入れ。丁度近所の方がいい海苔をくださってね!惣次郎好き嫌い激しいからまた何も食べなくて向こう様の迷惑になってないかと思ってたし作っちゃった。量は大目に作ったし皆さんと分けて食べるだけはあるから」
食べられなかったらもったいないけど捨てちゃっても構わないからと苦笑する彼女。
もちろん僕がそんなことをするはずはない。
味のことを言わないのは僕が彼女の味をおいしいと感じていることをわかっているから。
あれだけ姉さんたちにしごかれてればまあ、普通のことかも知れないけど。
今まで何回か持たせてくれた差し入れも確かに美味しかった。
「ありがとう」
そう微笑めば彼女はぼぼぼっと効果音が付きそうなほど一気に顔を赤らめた。
あれ、これってもしかして期待してもいいのかな?
どっちにしても彼女の作ったものを人に分けてあげるほど僕は人間ができていないんだ。
昔は可愛かったのに
僕にとって君がかわいいだけじゃなくなったのはもうずっと前で