The book

□LA VIE EN ROSE -も幸せな気-
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 市立・米倉商業高校は限りなく平和にある。いや、つい先ほどまで平和にあった。ひとりの少女が言葉を発するまでは。
「八尋くんってホモなの?」
 あまりにも唐突で突飛すぎる台詞に、米商一年生の八尋英児は飲みかけのコーヒーを思わず吹き出しそうになってしまう。端正な眉を癖のようにしかめて、目の前に座っているみつあみの少女を見据えた。
「…霧子。おまえ、いったい何をどう取ったらそうなるんだ?」
「だって、いつも島袋さんにくっついてるし、彼女もいないじゃない」
 咳払いを何度かして苦い薬を一気に飲み込んだような顔で八尋は舌打ちをした。女の思考というものはどうも理解らない。
「あのな。島袋さんのことはともかく、どーして女がいねーだけでそれになんだよ」
 同じクラスの佐藤霧子は肩までのみつあみを揺らして少し首を傾げた。
 一週間前の席替えで霧子の後ろの席になったことは、八尋にとって不幸以外の何でもなかった。休み時間に一服して戻ると、教室中に響き渡る声でこう叫ぶのだから。
『あーっ!タバコくさい!サイテーっ、近寄らないでよね!』
 これが毎回なのだからたまったものでない。いい加減鬱陶しくなり、八尋は校内での禁煙を決意せざるを得なかった。
 これから数ヶ月もこの席で過ごすと思うと、半ば自棄くそで登校拒否したくもなるのだった。
 禁煙のせいか妙に口が寂しくて、最近の必需品であるガムを口の中に放り込んだ八尋に霧子がまた話しかけてくる。
「八尋くんって結構モテるみたいなのに、なんで彼女つくらないの?」
 これまた意外な質問だった。そんなことは考えたこともない。これでも自分としては充実した生活を送っているし、女など面倒くさいだけだった。
「おまえにゃ関係ねーよ」
 言い捨てて席を立つ。これ以上は付き合っていられなかった。
 非常階段まで来て、いつもの癖で内ポケットのタバコをまさぐる。鞄の中にあることを思い出してため息が口を衝いた。
「霧子のヤツ、なんであんなことばっか…」
 最近の霧子はどうも言動がおかしい。やたらと八尋の行動を知りたがり、気がつくといつもそばにきている。
 何も思い当たることはないはずだ。タバコも学校では吸っていないし、ケンカも最近はない。
―― じゃあ、どうしてだ?
 とんでもない考えが不意に彼の脳裏をよぎる。
「まさか、俺を…」
―――― 好きだとか?
 凄い考えになってしまい、思わず首を何度も横に振った。しかしその答えで事のつじつまは、見事に整理されてしまったのであった。



 結局考えがまとまらないまま放課後となり、その足で井の頭公園へと向かう。それはいつものことだが、今日は前を歩く寸詰まりの背中がないので、ウォークマンを耳に自分の世界に浸り込んだ。音量はMAX、音漏れなど気にしない。こうなるとほとんど聴覚だけの世界。身体中が耳となって外界を遮断する。
 だが、こういうときに限って邪魔が入るのは常だ。
 この公園を根城とする吉祥寺最大の軍団・帝拳高校の下っ端四人組。中でも凶悪なのが黄色い頭の単細胞。いや、こいつはまだマシで一番ヤなヤローは…そう、今目の前にいるみたいな長髪にバンダナを巻いたスカした男――
「八尋、てめー何ガンくれてんだよ」
 その長髪にバンダナを巻いたスカした野郎は、橋の欄干に身体を預ける八尋を訝しげに眺めていた。
 ちょうど八尋と同じくらいの肩越しに見えたのは、夕陽を反射してオレンジ色に輝く髪の帝拳高校の制服を着た女だった。
 なんだ、この女。海老原のオンナか?
 そう八尋の口が動きかけた瞬間だった。
「このヒト、海老原くんの友達なの?」
『こんなヤツ、ダチでも何でもねーよ!』
 八尋の拗ねたような声に、少しかすれた高めのトーンが重なる。海老原昌利の声だった。
『てめーな!』
 タイミングは完璧だった。
 気が合ってるな。やっぱり友達なんだ。
 そう思ったが槇原ひなのは敢えて声には出さずにいた。どうも言える雰囲気ではなかったからだ。

 まいった。どう考えてもこの海老原という男とは縁がありすぎる。面白くないほどに。八尋はそう思わずにはいられなかった。
 西澤の件から自分のピンチにいいところをかっさらってゆく、この男のことが八尋は苦手だった。
 そもそも八尋は彼のことなど名前くらいしか知らない。だが、苦手は苦手なのだ。似ても似つかない…なのに、どこかが確実に酷似しているこの男の存在が妙に腹立たしかった。


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