小説(long2)

□ハルカ、カナタ 第4章
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第4章-1


一年の中で最も大きな夏の大会を目前にした道場は、普段以上の熱気が漂っている。
気合の入った声と竹刀のぶつかり合う音。
最初は思わず耳を塞ぎたくなったそれも、今ではすっかり慣れてしまった。
さほど興味もなく始めた剣道だったけれど、それでもこれまで続けてこれたのは、鳴門がいたから
ということも確かにあったけれど、案外自分に合っていたからなのだと思う。

剣道は常に一対一で打突し合う。
現在ではそういった運動競技として捉えられてもいるが、本来は日本的な精神や儀礼を重んじ、
その厳しい稽古によって心身を鍛錬し、人間形成を目指す“武道”である。

そう、・・・そもそも剣道は剣術の稽古、だったものだ。
その剣術は、人を殺す為の技・・・。真剣を手にした命懸けの戦いから生まれたもの。
それはただの勝ち負けではなく、生きるか死ぬかの戦い−−−。
だからこそ、・・・。

『常に己と対峙せよ−−−』

それが、案山子の父親である佐久茂の教えの根本だ。

相手と向かい合い、竹刀を構えると、佐助はいつもそのことを思い出した。
そして、自分の神経が研ぎ澄まされていくのを感じ、相手の一挙一動に集中する。
その緊張感が、佐助は好きだった。
けれど、・・・。

きっと、今の自分には竹刀を握る資格すらないだろう。
自分の感情から目を逸らし、逃げ出そうとしている・・・。

最後の日の稽古を終え、佐助は自ら最後の片付けと戸締りを申し出て皆の帰りを見送った。
もちろん、鳴門にも適当な用事をでっち上げて、先に帰らせた。
最近では、そんなことも度々あったから不自然なことではなかったはずだ。

『んじゃ、これ鍵ね。締めたら玄関のポストん中、入れといてくれればいいから』

案山子もそう言って、隣に建つ住居へと帰っていった。

一人残った道場で、佐助はそっと息を吐く。
余り長くいては決心が鈍りそうで、佐助は普段道場に置いている防具類を袋に詰め、キュッと口の
紐を縛る。
と、ふと思い出して一旦立ち上がり、壁に向った。

そこには門下生の名が書かれた木札がずらりと並んでいる。
まだ中学生の佐助の木札はその丁度中ほどの位置にあった。
そして、その直ぐ後に“渦巻鳴門”と書かれた木札がぶら下がっている。

それを見つめ、佐助はしばし躊躇する。

ずっと“ライバル”として、そして“友”として、正面から向き合えていたらどんなに良かっただ
ろうか。
あの頃の純粋な気持ち。
ただ、負けたくなくて−−−。
そんな思いで、日々精進してきた。
そんな日々が、ただ、懐かしい・・・。

ある意味、この道場だけが唯一、聖域だった。
けれど、それすらも今、自分は切り捨てようとしている・・・。

何故、自分はこんな感情を鳴門に抱いてしまったんだろう。
この位置に満足していれば、こんな風に無理やり離れることなどなかった。
けれど、そう・・・。
それは全て、自分の勝手、だ・・・。

悪いのは、自分。

『ごめん、鳴門・・・』

そう思わず呟いて自らの名が記された木札に手を伸ばした時、道場の扉が軋む音を響かせながら、
開いた。



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