緋色の書簡

□届いた気持ち
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『あぁ、どうか……どうか。あなたさまの罪が、許されますよう……。
あなたさまの心に、いつか平穏が訪れますよう。私は……』



そこで彼女の声は、ふつりと途切れ……。

彼女の白い千早と、朱の袴を染め上げていた紅い液体も、ぴたりと止まった―――。















届いた気持ち




















「…やはり、こちらにいらしたのですね。常世神殿」

その声に常世神は僅かに身体を震わせ、瞼を持ち上げる。

「御先狐(おさききつね)か……。何用だ」

疲れたように、欝陶しそうに、常世神はその人物を見遣る。

常世神に御先狐と呼ばれたその人物は、白い狐耳を少しだけぴくりと震わせ、二つの尾をいつものようにふよふよと動かさず、互いを絡み合わせていた。

「……あなたさまに。どうしても、お伝えせねばならない事があります」











¶  ¶  ¶












「……どこに連れて行くつもりだ」

「あと少しです」

もう何度、この会話を繰り返したことか。

さすがに行き先を教えないとはどういう了見なんだと、常世神はすでに胸の内で怒りをたぎらせていた。

だが、今の自分達の状況を諌(いさ)めてくれる役でもあった玉依姫―――裏切ってもなお自分を愛し続けてくれた彼女がいない事に常世神は認識させられる。

その度に、常世神は自嘲じみた笑みを口許に浮かべた。
今もその乾いた笑みを浮かべている。

その度に、彼女に伝えられずじまいになってしまった言葉をも、噛み締めるのだった。






「……着きました」






御先狐の声に、常世神の意識は思考の海より浮上する。

そして、御先狐の視線の先にあるものを見る。



「……小屋? いや、違う――」



そこは、かつて玉依姫と常世神が暮らしていた場所だった。



正確には常世神がだ。



玉依姫が死に、彼女を死に追いやった常世神は、彼女との思い出が詰まったそこに寄り付かなくなった。

だから、廃れていてもおかしくないはずだった場所なのだが……。

「……御先狐よ。おまえが、あそこに住んでいるのか?」

常世神は静かに、懐かしむように御先狐に訊く。

御先狐はその問いに返事を返さず、さくさくと小屋に向けて歩き始めていた。

その彼の行動を見た常世神は、それを肯定と受け取り、御先狐の後に続いた。












¶  ¶  ¶













久しぶりに踏み入れたその場所は、常世神の記憶にあるままだった――。

しかし、違うところもあった。

「常世神殿、こちらへ。なるべくお静かに願います」

小さな声で、御先狐に中へ招かれる。

彼の行動を不思議に思いながらも、常世神は彼のいう通りに足音を立てぬよう細心の注意を払い歩を進めた。

そして、その場所に辿り着いた常世神は、御先狐の視線を辿る。



そこはかつて、常世神の寝床だったところだ。

今、その場所には、二人の嬰児(みどりご)が寝ており、そこを占領していた。



一人は人間のような容姿を持ち、もう一人は常世神と同じく、二つの黒い突起が頭部にあった。

その二つの突起を持った嬰児を見た常世神は、無意識に人間のような手をしている左手で、己の口許を覆う。

そして、目の奥から何かがじんわりと溢れ出してくるのを感じた。




「この、嬰児は……」




やっとの事で搾り出した常世神の声は、微かに震えていた。

御先狐はそれを横目で見遣り、淡々と答えた。



「先代玉依姫――かつての私の主と……。
常世神殿、あなたさまの子供でございます」



そう御先狐が伝えれば、常世神は声を震わせながら、そうか……と呟き、微かに嗚咽を漏らした。

確かに、何度か玉依姫と契りを交わした。

彼女を騙し、利用するために……。

「彼女が身篭ったのを、私は知らなかった……」

「それは、主があなたさまに報じたくなかったからです」

その御先狐の言葉に、常世神は視線をもう一人の嬰児へ滑らせる。

「そうか……、そうだったのか……」



 
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