短編

□不知火濡らし
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「先生!お話して」


ある昼下がり、子供たちが一人の男の周りに集まってきた。男は足に飛びついてくる子供たちの衝撃を受けて少しよろめいたが、なんとか踏みとどまって笑みをこぼした。


純粋な瞳がいくつも見上げてくる。その頭の一つを撫でてから全員を引き連れいつもの定位置へと向かった。


男は壁に立てかけてあった折り畳み式パイプ椅子を適当な位置に組み立て、そこに座る。そすれば、まわりに子供たちが据わっていく。


全員が据わったのを確認してから、男は口を開いた。


「どんなお話がいいですか?」


「怖い話!」


勢いよく手を挙げたのは活発な男の子だった。しかし、女子軍からは否定の声が上がる。


「えーやだよ!楽しい話がいい!」


「それは昨日聞いただろ!怖い話だ!」


興奮したのか立ち上がる双方。その声を聞いて男は昨日のことを思い出す。昨日も同じような感じで男女で対立し、女子が勝利したのだ。拗ねた男の子たちには明日怖い話をしようと約束して。


「こらこら、喧嘩はダメですよ。昨日約束しましたからね。今日は怖い話にしましょうか」


部屋の電気を消し、窓のカーテンを閉めると部屋は真っ暗になった。男はどこから取り出したのか、ペンライトを持つとそれの明かりをつけた。まっすぐな光が部屋の天井を照らす。


その一筋の光だけがこの場にいる者たちの唯一の灯りだった。それに視線が集まる中、静まり返って子供たちが集中しだしたのを見計らって、男は静かに話し始めた。


「これは、本当にあったお話です」


―――――
―――


昔、一人の男の子がいました。その男の子には、不思議なお友達が一人だけいました。その友達と言うのは、鏡の中にいる男の子です。


男の子の名前は優。鏡の中の男の子はキョウといいました。


優とキョウはいつも二人で遊んでいました。遊び場は、必ず鏡か、水面などの自分の姿が映る場所でした。


二人はいつも一緒でした。鬼ごっこをするときも、何をするときも、ずっと。


しかし、他の人は誰もキョウのことを解ってくれませんでした。理由は、他の人には見えないのです。優にはちゃんとそこに見えるのに。


鏡を覗けば、かならずそこにキョウはいました。だからお風呂に入る時も歯磨きをしているときもいつも一緒でした。


鏡の中にいるキョウは少し青白い顔をしていて、優とは違ってとてもワンパクなようでした。もともと、優はあまり自己主張するタイプではなく、学校でも友達が少ないこともあってキョウと遊ぶ時間がとても大好きになっていました。


優はいつも帽子をかぶっていました。


ある日、キョウは自分も帽子がほしいと言いました。優は自分のお金で帽子を一つ買いました。しかし、どうやってその帽子を渡せばいいのかわかりません。そのことを尋ねると、キョウは簡単だよと言いました。


【鏡の中に押し込んで】


キョウは言いました。優は半信半疑で言われたとおりに押し込むように鏡に帽子を押しつけました。するとどうでしょう。鏡に波紋が広がったと思うと帽子は少しずつ鏡の中に入って行きました。まるで水面に沈んでいくような光景でした。


「すごいです…」


優はそういいました。優は誰に対しても敬語を使う癖があるのです。キョウは手元に届いた帽子を満足そうに、かぶりました。その帽子はニット帽で、キョウにとてもよく似あいました。


「キョウ、よく似合ってますよ」


【これで、優とおそろいだね】


二人は笑いあいました。優の帽子はキャップ帽でした。
 

その後もまた、二人でたくさん遊びました。しかし、大人たちはそんな優をだんだん心配し始めました。


なぜって、優はキョウしか友達がいなくなっていたからです。大人たちから見れば優はいつも一人で鏡に向かって話しているのです。それが、どんなに不気味か…。大人たちの間では、優を更生施設にでもいれようかと思い始めていました。
 

しかし、そんなことを知らない優はキョウだけと遊びます。


「キョウの世界ってどんな世界なんですか?」


【誰もいないよ。俺一人だ】


二人は体育座りをして向かい合いながら話し合っていました。


「いいですね…。それって、宿題をしろって言われることも、ゲームしすぎるなって言われることもないんですし」


【まあね。宿題自体がないから】


それを聞いた優は眼を輝かせました。宿題がないなんてなんて理想だろう、と。
 

そのあとも、優はキョウにたくさん質問をしていき、鏡の中の世界がだんだん詳しくなって行きました。


キョウも優にたくさんのいろいろな話を聞いていきました。学校のこと、家族のこと、将来の夢のこと、今まであったこと、ちょっと気になる女の子のこと。
 

二人は、最近では遊ぶこともせず、ずっと話し合っていました。そして、それはだんだんと優だけが話していくようになりました。


それというのも、キョウの鏡の世界はモノもほとんどなく、キョウが話せることなどあまりないのです。


【いいな!優の世界は楽しそうだ】


「そうですか?」


【こっちには親友なんていないし…】


「キョウは僕の親友です!」


二人はいつしか親友どうしになりました。


「キョウがしてほしいこととか、何でも言ってください!僕が全部かなえてあげますから!」


優はキョウに言いました。キョウの世界には本当に何もないということを知っていたからです。だから、友達のキョウのために何かしてあげたかったのです。


【…なんでも?】


「はい!」


キョウの少し遠慮したようなものいいに、優は頼ってくれるんだとわかり嬉しくなって元気よく頷きました。


【……じゃあ、ここから出たい】


「出られるんですか!」


【出られるよ】


キョウは少し俯き、小さな声でそう言いました。それを聞いた優は喜びました。一度、一緒にこの街で遊んでみたかったのです。そして、喜んでいた優はキョウの小さな変化に気づきませんでした。


「じゃあ出てきて遊びましょう!」


鏡に手をつき早く、早くと急かします。しかし、キョウは優と同じ場所に手をつくと、また俯いて小さな声でたずねます。


【ねえ、本当になんでもかなえてくれる?】


「?はい!」


なぜ早く出てこないのか不思議に思いながらも、さっきした約束をもう一度口にします。


それを聞いたキョウはゆっくり笑みを浮かべていきました。


【じゃあ、…身体がほしい】


「…から、だ?」


【そう、優の身体が】


「ぼく、の?」


鏡が波打ったと思うと、鏡についていた優の手が鏡の中に沈み始めました。


「え、何、言って!キョウ!やめてください!」


【なんで?くれるんでしょう?うらやましいって言ってたもんね。こっちの世界が。だから、俺が変わってあげる】


「キョウ!」


優の身体が鏡の中にどんどん沈んでいくと、その反対側からどんどんキョウの身体が出てきました。優の顔はもう真っ青でどうにか逃れようともがきます。しかし、それをキョウは嘲笑うかの如く口端を釣り上げました。


【ねえ、君が親友になってくれてよかったよ。優】


その声はひどく冷たく優の耳に響きました。なんとか逃れようともがくものの、体はどんどん鏡の中に引きづり込まれていきます。


「何…、言って…やめっ!」


そこで、優の声は途切れてしまいました。


優は完全に鏡の中に、キョウは完全に鏡の外に出てきました。しかも、キョウの姿は優そのものの姿だったのです。ただ、帽子だけがニット帽のまま…。


優は鏡の中からドンドンと鏡をたたきます。


「優。今までありがとう。俺はさ、今日からお前の代わりに優になるよ。…違うか…。優に『なります』だね。いろいろ話してくれたから、僕はなんでも君のことを知っているしこの世界のことも知っているんですよ」


【キョウ!何言って!ここから出してください!キョウ!】


しかし、キョウ、改め『優』はそこからすたすたと離れて行きました。


絶望する中、優は鏡の中から『優』の姿を追います。


「お母さん」


「あら、どうしたの?優」


【母さん!そいつは僕じゃない!僕はここにいます!】


お母さんが『優』にむかって微笑んだ。料理を作っているお母さんには鏡の中で叫んでいる優の姿は見えず、声も聞こえません。


「手伝います」


「あら、本当?」


【母さん!】


「今日は、優の大好物よ」


「本当?うれしいです!」


【キョウ!出してください!ここから出して!】


『優』はお母さんの手伝いをしながら、談笑をして、その次の日からは、まるで、キョウと会う前のように学校の友達と遊び始めました、とさ。






―――――


「これで、このおはなしは終わりです」


しーんと静まりかえる部屋の中では、子供たちが真剣に聞き入っていたのか、誰も彼から目を離せていなかった。


「これは本当にあったお話で、キョウは『優』になりすまして生活をしています。そして、本当の優はまだ鏡の中にいるんですよ。新しく変われる人が現れるのをいまかいまかと待ち構えて…」


そこで言葉を切った先生は、ペンライトの光を消し、カーテンを開いた。


とたんに入り込んでくる外の光。その眩しさに子供たちは目を細め、ようやくお話しの世界から現実に戻ってきた。


「うっわー。先生話すのうまいんだもん。鳥肌たっちゃった」


「でも、そんなのあるわけねえよ!」


この話をせがんだ男の子が声をあげた。


「どうしてですか?」


「だって、鏡の中には俺しか映んねえもん!」


「そうですね…。だから、もし見える人がいたら、気をつけなさい。優に成り変られてしまいますから」


男は、その男の子の頭を一撫でした。他の子供たちはもうやめてーと叫びながらも、また明日、別のお話をする約束をしてそれぞれ帰っていった。








彼は、トイレに向かうとそこにある鏡に向かって話しかけた。


鏡の中には、青白い顔をしたキャップ帽をかぶった少年がうずくまっている。


「優。君の話をしました。皆やっぱり信じないってさ」


もう、声がかれたのか、ただ鏡をたたくだけの優。涙でぬれた顔で、口パクでずっと返せと言っている。


その様子に薄く笑みをつくった。


「君の代わりに『俺』が君の夢をかなえてあげたよ。だから、君もはやく、次の子が見つかるといいね」


鏡を叩き続ける優。その姿を見て、かつてその中にいたころを思い出し表情を曇らせる男。しかしそれも一瞬で、それじゃあねといって優に手をふると、彼は鏡の前から立ち去って行った。







それから、幾年かたったある日、一人の女の子が、鏡の中にキャップ帽をかぶった男の子の姿を見つけた。


「ねえ、君何してるの?」


【……やっと、見つけました…】

 

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