小説〜オリジナル〜

□ピアノ
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「じゃあ、使わせてもらいます」
「おぉ。終わったら忘れず鍵閉めろよ」
「はい」
俺は先生から鍵を受け取って旧校舎へと向かう。1ヶ月後にコンクールが迫っているために音楽室のピアノを借りたいと頼みに行ったが、音楽室は吹奏楽部が使うから使えないらしい。その代わりに旧校舎の古いピアノをいつでも使わせてもらえる事になった。ミシミシと言う床を踏みしめ、俺は2階の音楽室へと向かった。
すごく古そうなグランドピアノと机と椅子が何脚かあるだけの木造の音楽室は俺の知っている音楽室とは雰囲気が違っていて、別の空間に迷い込んだようだった。俺がピアノに近付き、蓋を開けた途端ホコリが舞い上がった。
「ゴホッ」
俺は鍵盤を人差し指で押してみた。ポローンといい音がした。俺はピアノの椅子のホコリを軽く手で掃ってから座り、練習代わりに短めの曲を一曲弾いた。音は問題なく出て、音楽室中に響いた。俺はピアノの蓋を閉め椅子から立ち、掃除箱へと向かった。音が出たのはいいが、こうホコリっぽくては練習など出来ない。掃除箱には幸い穴の開いてないバケツとボロ雑巾が合った。



俺がバケツに水を汲んで戻ってくるとピアノの前に人影があった。
「誰ですか?」
「わっ!あたっ!!」
ピアノを触っていた少女は俺の声に驚いて手を蓋ではさんだ。
「だ、大丈夫かい!?」
うっ!と涙目で少女は近寄った俺の方をじっと見た。挟んだ手をもう片方の手で押さえている。
「怪我とかしてないですか?俺、絆創膏持ってますけど」
「だ、大丈夫よ!」
俺の言葉に少女は答え、手を離した。指がちょっと赤くなっていたが、怪我はしていないようだった。俺は安心して、時間もないので俺は掃除をしながら話をする事にした。少女の目にはもう涙はなかった。
「さっきピアノの音が聞こえてきたけど、あんたが弾いてたの?」
「はい。あまりにも古いピアノだったんで、音が出るか少しだけ」
「ふぅん」
うまいのねと呟く。
「あたし、3年の沢井朱音よ。あんたの名前は?」
どうやら先輩だったらしい。小柄でころころと変わる表情など幼く見えるが、今まで敬語で話していて正解だったようだ。名前に少し聞き覚えがある気がしたが、珍しくもない名前なのでどこかで似た様な物を聞いたのだろう。
「2年の結岐奏斗です」
沢井先輩は一瞬驚いてからくすくすと笑った。
「ごめんね。あんたが噂の黒鍵の王子だとは思わなくて」
「そ、その呼び方はやめてください。恥ずかしくて気に入ってないんです」
俺が少し赤くなり雑巾に視線を落とすと先輩はもっと笑った。
数ヶ月前、俺が決して小さくはないコンクールで賞を取ってからそんな呼び方をされるようになっていた。最近は何でもかんでも王子≠付けるのが流行っているらしい。
「あー、そういえば王子が1ヶ月後にコンクールに出るって女子が騒いでたっけ。それで練習しに来たってとこか」
「えぇ」
俺はピアノの掃除をとりあえず終わらせた。雑巾じゃあこれ位が限界だろう。明日竹串でも持ってくるか。このままでは鍵盤の間のホコリは取れない。
「ねぇ!弾かないの?一応、私あんたのピアノ聴きに来たようなもんなんだけど」
練習を人に聞かせるのは、と渋る俺を無理にピアノの前に座らせた。
「しょうがないですね」
俺は弾き始めた。今回の俺のコンクールの演奏曲はリストのラ・カンパネルラ=B難しいと有名な曲だ。先生が勧めるものだからやる事に決めたが、評判通り難しくてなかなか弾けなかった。だからとここに練習に来たわけだが。俺にミスが続いた。途中まで弾いて俺は手を止めた。
「ふ〜ん。やっぱりすごく上手いわね。でも、この曲を弾ききるにはまだって感じかな」
「……何度弾いても失敗するんですよ」
俺の言葉に一瞬の沈黙の後、先輩は口を開いた。
「う〜ん。ちょっとどいてみて」
一瞬、先輩が何を言っているのかわからなくて止まったが、先輩はいいからと俺を追い立てた。そうして俺が席を立つと自分がそこに座った。
「先輩、何を?」
俺の声を無視して先輩は鍵盤に両手を置き、何かを考えるように目を閉じた。そしてふわりと手を少し持ち上げた後、ピアノを弾き始めた。そう、ラ・カンパネルラ≠。俺は口に手を当て瞠目した。上手い、相当な物だった。俺が躓いた所も何の問題もなく弾き続ける。奏でられた音が振動として心に直接伝わってきた気がした。でも、俺は何故か違和感を感じた。
「ふぅ……。こんな感じじゃない?」
先輩は手を止めて俺を見た。
「こんな感じって。先輩、ピアノ弾けたんですね。かなり上手く」
「あ!あぁ、まーねぇ。昔、習ってたから」
先輩はごまかすように視線を上にやりながら答えた。だから俺は詮索はしないことにした。


        ○ ○ ○


俺が旧校舎の音楽室へと行くと、毎日のように先輩は顔を出すようになった。気が向いたらピアノを弾いて、時々俺に教えてくれた。だんだんと俺も弾けるようになった。
「今週末はコンクールです」
「そういえば。ついに本番ね。全力出すのよ!」
先輩が親指を立てながらニカッと笑う。
「先輩は来てくれますか?」
「あー、みんな行くって言うしねぇ。行くかもしれないわね」
「そうですか。是非来てください。先輩が教えてくださったおかげで弾ける様になったんですから、聞いていただきたいんです」
そう俺は笑った。
「私は何もしてないわよ。でも、しょうがないから聴きに行ってあげるわ」
「ありがとうございます」
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