小説〜オリジナル〜

□残してきた物
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「人魚の涙は戴いてゆく!ははははっは!」
「待てぇ!怪盗バロン!」





奴が世間から姿を消して数十年。既に時効が成立し、奴を追う者はいなくなった。当時怪盗バロン事件を担当していた俺も去年、定年退職をした。俺は奴を忘れられず、妻子供を置いて奴を探す為、旅に出た。だが引退して何十年も経った怪盗の事を知っている者など殆どいなかった。ところが先日、この町の外れにいるかもしれないという噂を聞き、俺はこの田舎町に来た。
「ディビット・シュトレーゼンさんのお宅をご存知ですか?」
情報の中にあった、怪盗バロンかもしれない男の名前だ。
「あぁ、シュトレーゼンさんならこの先の丘の上の家だよ」
町の婦人に礼を述べ、俺は丘へと向かっていった。
丘の上には家が一軒。あそこに奴がいるのか。
「トントンッ」
俺は家のドアをノックした。
「はい」
開いたドアから現れたのは、清楚な貴婦人だった。
「旦那様はご在宅でしょうか?」
「えぇ、奥の部屋に居りますわ。どうぞ、お上がり下さい」
「失礼致します」
俺は一つの部屋に通された。
「トントンッ ガチャッ」
「あなた、お客様です」
俺は部屋の中に入った。そこに居たのは、上品な皺を畳んだ白髪混じりの男だった。何気ない仕草から気品が漂ってくる。
俺がじっと見つめていると、男はほんの一瞬驚いた顔をして、そして微笑んだ。
「アンナ、ちょっと席を外してくれるかな?」
とても落ち着いた優しげな声だった。アンナと呼ばれた貴婦人は出て行き、
部屋には俺と男の二人きりになった。
男は手を振り上げ、紳士的な礼をした。
「ご機嫌、麗しゅう。私、怪盗バロンと申します」
「やはり、お前が…っ!」
「刑事さんですか。この私に何の御用でしょう?私の最後の窃盗(マジック)からもう
30年以上も経って、とっくに時効が確定しているはず」
「あぁ、その通りだ」
「では何故?私を見つけ出したことには感服致します。ですが、もうあなたは私を逮捕出来ない」
男は余裕の笑みを浮かべている。
「…何故、姿を消した」
「気になるのですか?」
「……」
俺は唾をごくりと飲み込んだ。
「…俺は昔、お前の事件の担当だった。その頃の俺は仕事がとんとん拍子に上手くいき、有頂天だった。そんな時だ、お前の担当を任されたのは。たった一人のこそ泥なんか、俺がすぐに捕まえてやる、そう思っていた。だがお前は俺なんかどうしようもない位、綺麗に盗みを働いていった。…俺はお前に尊敬の念さえ抱いていたんだ。いつか俺がお前を捕まえるんだ、そう意気込んでいた。…なのにお前は何の前触れもなく、いきなり姿を消した。何故だ!」
「そうでしたか…」
「もうお前を捕まえる気はない。だが、その理由を聞くまで、俺の刑事生命は終われないんだ」
「…、お話しましょう。どうぞ、お掛け下さい」






俺は勧められる通り、ソファに腰掛け、男は俺に語り始めた。
「…最後の宝石、人魚の涙を盗み出したあの晩、既に私は怪盗を引退する事を決めていました。少し前から、このまま怪盗を続けて行っていいのか、そのことを考えていたのです。言うなれば、私は義賊。法では裁かれない悪行で財を成した人から財宝を盗み出し、貧しい人々に分け与える。若い
頃はそれは正義で、自分は人々の為に正しい事をしてるのだと思っていました。ですが、盗みと歳を重ねていく内に、疑問を持ち始めたのです。そんな時にあの事件。憶えていらっしゃるでしょうか?私が盗み出した 白銀の花瓶=@差し上げた所から奪い返していったという事がありました。私のした事で貧しい老婦人が傷付く事となった、その事で私は随分と悩みました」
「 … 」
「そう。私が怪盗を続けていても、人々が救われる事はない。そう気づいたのです。…だから怪盗を辞める事にしました。所詮、怪盗と言ってもただの泥棒。救世主や足長おじさんには成れないのですよ」
そう、怪盗バロンだった男は困った顔で笑った。
「ですが、怪盗をしていた事は誇りに思っています。金品を配った時の人々の喜んだ顔は忘れられません。私の様な怪盗にお礼を述べて下さったり、支持して下さったりした方も沢山いらっしゃいました。それはとても大切な思い出であり、心の支えなのです」
今度は柔らかく微笑んだ。
「刑事さん、私を逮捕しますか?」
俺は目を瞑り、ゆっくりと首を振った。
「いや。言った筈だ、もうお前を捕まえる気はない。理由が訊きたかっただけだと。…家族が居るんだろう?」
「…えぇ」
「俺にも居る。愚痴ばかりの妻と可愛くもねぇクソガキがな。…だが、大切な家族だ」
俺はフッと笑った。
「今は、お前を探す為に1年以上もほっぽり出したままだがな。だから俺
はそろそろ帰んねぇと」
「刑事さん…」
「じゃあな。家族を大切にして、真面目に生きろよ!」
そして俺は去っていった。





俺の40年の刑事生活最大の事件、怪盗バロン失踪事件は静かに終わりを迎えた。
「あぁあ、あいつらに土産でも買ってくか」
俺は一人で伸びをした。

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